特集:加藤則芳さんスペシャルインタビュー

日本を代表するバックパッカーであり作家でもある加藤則芳さんは、信越トレイルの構想から整備、運営に至るまでご指導下さいました。加藤さんの想いでもあった信越トレイルは2008年に80キロ全線が開通しました。しかし、その2年後に難病である筋委縮性側索硬化症(ALS)を発症。以後も、精力的に執筆活動などを続けてこられましたが、残念ながら2013年4月17日に急逝されました。

       人間は本来、社会人である以前に、自然人であったはずだ。

加藤さんが残してくれた信越トレイルの理念は、後に続く日本のトレイルづくりのひな形とされ、今、少しずつそれが胎動をはじめています。

不思議なつながり

 私は雪のない埼玉県で育ったのですが、少年時代、冬の豪雪の季節になるたびに、飯山線の除雪車の写真が新聞に載るんですよ。なぜか豪雪に憧れていた私は、行ったこともない「飯山」というところに小学生の頃から思いを馳せていて、とうとう中学生の時に訪れたんです。当時はやっていた「学生村」を、黒岩山の麓でもやっていて、夏休みの3週間ほどをそこで過ごしました。1泊3食付きで400円ぐらい。それが私にとって最初の飯山です。
 それから1987年、国立公園問題に取り組み始めた頃、知床の森が伐採される計画がもち上がり、地元で反対運動がおきて、現地取材に行きました。同じ年に飯山でも鍋倉山の森を伐採する問題が起きて、国立公園とともに森のあり方について興味をもったんです。
 それまで自然保護運動は成功したことがありませんでした。市民が国に勝ったことはなかったんですよ。それが知床では530本伐ったところで中止になり、鍋倉も温井の人たちが中心になって反対運動をしてブナの森を守りました。
 この2つがその後の森林行政のあり方を変えるきっかけになったんです。そこにジャーナリストだった私は、たまたまその時代の節目に居合わせたわけです。
「ある日ヒッピーみたいな男がやって来て……」なんてよく言われるのですが、信越トレイル誕生のきっかけともなった活動をしている「いいやまブナの森倶楽部」の事務所の置かれた、なべくら高原の森の家に、ヒッピーみたいな私がふらっと取材に行ったことがあったんです。その時になぜか山の中のトレッキングルートづくりについて「この人に相談してみよう」ということになったそうで、それが信越トレイルにつながる動きにまで至っているんですね。

地元から愛されるトレイルをめざして

 その頃、バックパッカーとして国外のさまざまなトレイルを歩いていた私は、日本人にもロングトレイルの素晴らしさを体験してもらうことはできないか、という思いが強くなってきていました。そういうタイミングもあり、「ここで私の夢を具現化すればいいんだ」と気づき、お請けしたわけなのです。
 日本は世界でも有数の山岳文化をもっている国ですが、登山は山頂をめざす垂直志向、いわゆるピークハンティングですから、そこでのふれあいは自然だけなんです。それに対してロングトレイルは山頂を目指すのではない水平志向で、里山歩きも多いですから自然だけでなく、文化や歴史、その地域に暮らす人たちとのふれあいを感じられます。その距離が長ければ長いほど、それらをより強く、より深く体感できるんです。それは今ブームのウォーキングとは違います。決定的な違いは「自然」です。自然の中を歩き、自然に触れることで自然と人との共生のあり方を感じ取っていくことが、ロングトレイルの魅力なんです。つまり、自然と人をつなぐ架け橋のような存在です。
 信越トレイルの理念の基本として、まず生態系の保全をあげています。「爪でひっかいたような一本のトレイル」作り。つまり、重機は使わず、人の手で切り開く。次に、これまで日本にはなかった関係する県や市町村が協力し合い、地元森林管理署の協力を得ながら、官と民が親密な関係を築く。さらに大事なことは、維持管理はヴォランティアが参加して行う。こういったことを目指して信越トレイルは作られました。
 そして、活用の仕方の大事な柱として、「地元から愛されるトレイルにしよう」ということを掲げました。いま、地元の小学生に歩いてもらう体験学習をしたり、学校行事として取り入れてもらったりしていますが、それが広がりつつあります。自然教育の場として、そして地域の歴史や文化のすばらしさを再認識してもらう場として活用してもらい、将来、さまざまなところに出て行っても、故郷を愛し、誇りを持てるようになってくれたらと思っています。

「トレイルエンジェル」と 「トレイルマジック」

 私は、原生自然と同じぐらい、人と関わりがある自然が好きです。人間は本来、自然なしでは生きられなかったのが、今は自然がなくても生きていける時代になってしまいました。これは異常なことです。でも、もともと自然と親しく暮らしてきた日本人は、自然の中で生きていくための叡智を持っていたはずです。知識ではなくて生きる哲学。それが体に滲みこんでいました。それが頭で考えた知識優先になっている現代のような状況は何かが狂っています。……そういう認識をもって自然性を取り入れる姿勢が必要なんです。
 私は、2005年に米国にあるアパラチアントレイル3500キロを187日間かけて歩いたんですけど、それ自体が人生になってしまったほどにのめりこんだ半年でした。アパラチアントレイルは、いろいろな人がそれぞれの人生を持ち、さまざまなドラマを抱えて歩いています。多くの人は、人生の岐路、基点の指標としてこの超ロングトレイルを歩いているんです。規模はまったく違いますが、アパラチアントレイルは信越トレイルと同じような里山の世界なんです。
 素晴らしいのは、自分たちが誇りにしている地域を歩くバックパッカーを地元の人たちがリスペクトし、さまざまなサポートをしてくれることです。たとえば、山の切れ目、街につながる道に出たときヒッチハイクで街まで出て、食料を調達したりシャワーを浴びたりするのですが、米国では危険で禁止されているヒッチハイクも、ここのバックパッカーなら誰でも気軽に乗せてくれる。こういう地元の人たちを、バックパッカーたちは敬意を込めて「トレイルエンジェル」と呼び、サポートする人たちは、そのような行為を「トレイルマジック」と称してるんです。
 こうした地元の人たちとの出会いも含めて、アパラチアントレイルではいろいろな奇跡や感動的な出来事に遭遇することが、大きな魅力なんです。ロングトレイルには本当にさまざまなマジックのような、物語があるんですよ。人生のようにね。

日本各地に芽生え始めた トレイル文化

 いま、日本各地で、信越トレイルのようなロングトレイルをつくっていこうという動きが生まれています。私もさまざまな地域から講演を頼まれたり、実際に現地を歩いたりして協力させていただいています。それは、信越トレイルをすばらしい成功事例としてとらえ、ここをケーススタディーとしたトレイルを作ることにより、地域活性などを図ろうとしているからなのです。
 私ができることは、トレイルを歩き、抱いてきた思いを、自然の観点と利用者の立場からみたトレイル作りの理念やアイディアーなどを提供することです。しかし私は、その構想を具体化するために、実際にトレイル作りをし、持続的な管理運営をしていくためのエンジンを備えていません。その役割を果たしているのが、信越トレイルではNPO法人信越トレイルクラブなのです。
 重要なことは、トレイルを作っても持続的な維持管理ができなければ、これだけ温暖湿潤な国ですから、数年もすれば草木が繁茂し、トレイルは消滅してしまいます。それでは、どれだけ人のため健康のためと称して作ったトレイルでも、単なる自然への虫食いでしかありません。管理組織の充実は何よりも大切なことです。
 信越トレイルはアプローチ部分を含め、全長80キロのトレイルですが、日本のロングトレイル発祥の地ですから、ここから学んだことを活かして日本各地にすばらしいトレイルができたらいいですね。ただよくありがちな、異常なブームにならないことを祈っています。
 信越トレイルへの私の思いはさらに続きます。関田山脈から東西に距離を延ばすことで す。東は秋山郷から苗場山、白砂山へ、西は笹ヶ原高原を通って雨飾山から白馬岳までと、信越国境すべてを貫く壮大な「信越トレイル」を夢見ているんですよ。(談)

※このインタビューは、オフィスエムの承諾を得て、信越トレイル公式ガイドブック「信越トレイルを歩こう!」から引用したものです

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加藤則芳 かとう のりよし
1949年-2013年、埼玉県生まれ。作家としては国内外の自然保護やアウトドア、ロングトレイルなどをテーマに執筆。 2005年にアメリカの全長3500キロに及ぶアパラチアン・トレイルを踏破し、トレイルと自然、文化、地域、政治、人などとのかかわり、そのシステムのあり方を探り出すことをテーマに著書を残している。主な著書に「森の聖者-自然保護の父ジョン・ジョンミューア-」、「ジョン・ミューア・トレイルを行く-バックパッキング340キロ-」、「メインの森をめざして-アパラチアン・トレイル3500キロを歩く-」などがある。
→公式サイト
http://www.j-trek.jp/kato/

加藤則芳オフィシャルサイト

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